2013年9月20日

一人が大好きだった私達がつながって、その子同士もつながる

池谷さんピンチヒッターで、きょうだい児保育園について


池谷さん いつものパーソナリティ北川園長と古家ばばばあちゃんは今週は情緒障害児短期治療施設の東北研修のため、5月にこの番組にゲスト出演させて頂きました私、池谷が代わりを務めさせて頂きます。よろしくお願いします。

今日のゲストはむぎのこの大先輩でもある船木さんに来ていただいてます。船木さん、今日はよろしくお願いします。

船木さん よろしくお願いします。

池谷さん 船木さんといえば3人の子どものお母さんで、今のむぎのこのきょうだい児の保育園を最初に起ち上げてくれた先輩お母さんなんですけれども、きょうだい児の保育園を、まず作りたいって思ったきっかけはどういうものだったんでしょうかね?

船木さん 私は長男の健矢が自閉症だっていうことでわかったときに、むぎのこに通うことになったんですね。ちょうどまわりのお母さんたちが下の子を産んでいて、きょうだいの子どもたち、赤ちゃんたちがいっぱいいました。うちは健矢が自閉症で多動だし、赤ちゃんいても育てられるのかなーっていう気持ちでいました。当時むぎのこはほぼ全員母子通園だったからね。

そしてそれをまわりのお母さんとかむぎのこの園長先生とかにお話ししてみたら園長が、「赤ちゃんのことを預かっていられる保育園があったらお母さんも安心してむぎのこに通って子育てすることもできるよね」って。

私も「あっそうなんだ」って思ってね。隣に保育園があったら自分も安心して母子通園したり、赤ちゃんにおっぱいあげにもすぐ行けるし。近隣の保育園とかだったらすぐ入ることが出来ないんですよ。でも赤ちゃんのいる人でもすぐ母子通園もできる、そういう保育園があったらいいなって思って作りました。

池谷さん 私もね、息子と通うようになったとき、まだ下の娘がちっちゃくてね。私もほんと助かった一人なんですけれども、ほんとに。私の時はほら、もう船木さんたちが、そういうふうに作ってきてくれたので、当たり前のように併設されていて、すごい恵まれた環境だったんだけども、やっぱり一番最初にね、何もないところからね、自分たちで立ち上げるってね、ものすごく勇気もいることだし・・・すごいですよね。

船木さん 不安症の私だったのでそれは相当なものだったと思うんですけど・・・。

池谷さん その当時ね、なんか振り返ってね、そういう大変だったこととかね苦労した、思い出すようなお話ってありますかね?

船木さん なんか大変なことだらけだったと思うんだけど。そういう前例がなかったのでね。ボランティアさんをお願いしましたね。そういう子どもたちのために、なんとか療育やってる時間だけでも見てくれないかってことで。

場所探しは、むぎのこの近くに空き家があって、そこはある神父さんの持ち物だったので、そこを神父さんに、こういう子ども達のために使わせてもらえないだろうかってお願いしました。そしたら、ほんとに快く使わせてもらえて、「いや、こんないい人がいるんだ!」ってほんとに嬉しくなっちゃって。そして、むぎのこのすぐ横の建物で子ども達の保育をすることができるようになりました。

ボランティアさんも次第にみんな人づてで来てくれたりとかして。そしてみんなで私達の子どもを育ててくれたんですよね。利用するお母さんたちもどんどん増えてきて、こういうことやったらいいよ、あんなことやったらいいよって仲間で相談しながら進めてきました。池谷さんたちが来た時には、もうかなり軌道に乗っていた状態だったと思うんですよ。

池谷さん 恵まれててなにもかもが揃ってるという。

船木さん 世の中っていい人いるんだなっていうのをね保育園のときすごく感じましたね。自分はすごい不幸だって、障がいがある子がいるってことでそういう風に思ってたんだけども、理解してくれる人の多さにも気付かされた出来事だったなって。今思えばですね。


はじめは自分の目先のことだけを考えてました


池谷さん そうなんですか・・・ いやもう、ほんとそのお陰でね、今むぎのこに通うお母さんたちがね、安心して保育園を利用して、上の子の療育や、行事に参加してる姿を見てね、今どう感じますか?

船木さん そうだね、私が作った時は自分の子どものことで作ったんだけれども、でも将来的にこんな風になってるのを見て、ああ、すごく良かったなっていう風に思いますね。作った時はほんとに自分の目先の事ばかりしか考えられなかったんだけれども。

私も子どもを生むこと自体も、きょうだい生むこと自体もすごい迷ったお母さんの一人であって、そしてむぎのこに来たお母さんで二人目の赤ちゃん、池谷さんみたいな赤ちゃんを連れてくるお母さんもいるんだけれども、これからって考えてるお母さんたちも、保育園の存在を知ったらすごい勇気づけられて「そっか、きょうだいっていてもいいんだ、大丈夫だ」って安心して子育てできるかなっていう風に思っています。

池谷さん そうですね。だってほんとに兄弟がいたら、まず上の子の障がいがあるってことだけでもものすごく、特にね、外に出るっていうのに勇気がいるのに、ちっちゃな下の子がいたらものすごく外に行くのも・・・なんていうんだろう、こもっちゃう。

船木さん ひきこもりになる?

池谷さん そう!そうそう。だけどね、保育園があるってことでね、みんな通いだして、そこできょうだい預けるとやっぱりお母さんもきょうだいの子ども達もみんなやっぱりね。

船木さん 元気になるよねー。


お母さん同士がつながり、きょうだい同士もつながった


池谷さん ほんとに諦めずによく作ってくれてね。やっぱりまわりの仲間の力っていうのは強いですか?

船木さん そうだね、私が下の子を妊娠する前にも赤ちゃんを連れてきてたお母さんもいて、そのお母さんもやっぱり一緒にやんなきゃダメだっていうことで「一緒にやろう!」って一緒にやってくれたお母さんの一人でもあります。今でもそのきょうだい同士もずっとちっちゃい時から繋がっているから、お互いに障がいのきょうだいがいる友達同士っていうことで、ずーっと今でも0歳のときから繋がっています。

作った時はそんなこと考えられなかったんだけど、でもこういうことなんだなって。今はその保育園で育った子が小学校4年生で、その友達同士で育つっていうことは、お兄ちゃんのこと隠さなくてもいいし、自分も楽に生きれるし、自分の辛さも共感できる友達がいるっていうのが、すごくありがたいなっていう風に思いますね。

池谷さん いや~ほんとそうですよね。

船木さん 同じ立場じゃないとやっぱりそれって理解しがたいことで、うちのお兄ちゃんこうなんだよねって言ったら周りの子引いちゃう・・・

池谷さん やっぱり仲間がいるってだけで、それをわかってくれるっていう仲間がいるだけでなんか自信ってね、付きますよね。ほんとにありがとうございます。


一人のほうが楽だった私達がみんなと暮らす生活へ


池谷さん 船木さんて3人の子どもの子育てもして、私が息子とむぎのこに通うようになったときにはね、もうすでに船木さんは先輩お母さんとしてもね、後輩のお母さんのケアとかお仕事もバリバリしていてね、とてもパワーのある方だなって感じていたんですけどね、船木さんて子どもの頃から積極的な子どもだったんですか?

船木さん 子どものときはね、あんまり人と接することが好きじゃない子だったんだよね、どちらかと言えばね。今思えばとっても自閉的な子どもで、自分の世界、自分のワールド持ってて、そして自分の空想の世界、ファンタジーが大好きなそんな子だったよなーていう感じですね。

代表とかに選ばれたりとかもするんだけど、自分としてはなんか一人でいるのが好きだったり、なんか現実味を帯びてない感じで生きていたような子ども時代で、今とは全然違うね。

やっぱりむぎのこに来たお陰で、人と接することの大事さがわかったりとか、自分一人で今まで勝手にやってた部分とかもあったんだけれども、ちょっと周りが見えてくるようになったとか、それで人との話も、自分にないもの持ってるっていうことを発見したりとかね。

自分の母親との関係では、お母さんって絶対こうやって言ったらこうやって返ってくるなっていうのがもう自分の中では出来上がっていたんだけれども、むぎのこに来てからは、お母さんの答えと違う、それだけじゃないっ、こういう考え方もあるんだ、こういうこともできるんだていうことが自信になったり、驚きだったりで、ちょっとずつ殻から出てきたのかな・・・

池谷さん はじめはやっぱりさ、一人の世界になってて・・・

船木さん 楽だった。

池谷さん 楽だったしょ?やっぱり出てきたくないっていうね。一人がいいって私もそんな時期があったんですよね。

船木さん そうそうそう、そうなんですよね。

池谷さん でもなんかむぎのこのね、不思議だよね。なんだろう段々溶けていく・・・

船木さん 自分の家族も自分の家族だけでなんでも解決しなきゃなんない、自分の家族だけでやんなきゃなんない、っていうのがすごく強かったと思うんだけども、むぎのこに来たらそうじゃなくてみんな助け合おうよっていうのがすごくあるし、やっぱり助け合わなきゃやっていけないっていう部分もある。

みんなそこでコミュニケーションとるようになって、今まで子ども育ててきた中でも大変なこともいっぱいあったから、自分の家族だけじゃやっぱり解決出来ないんだっていうことがほんとに多くて。そしてみんな助けられてやってきたなっていうのがすごくあるよね。だってさそうじゃなきゃ子ども3人も育てられない・・・。


自分を受け入れて、子どもも受け入れて


池谷さん やっぱりむぎのこに通うまでは、自分ていうのがどこか受け入れられなかったりとか、ある程度これでいいんだっていうちょっとある意味開き直りみたいのもあったと思うんだけども。

船木さん そうそう、なんか自信みたいのもあったし、これが間違いないとかって思ったりもしてたんだけどでもね。でも挫折したり、これじゃいけないんだなってことがいろいろあってそして受け入れるようになったのかな。

池谷さん 自分間違いないって最初思ってたからね。やっぱり自分のね、そういういろんな感情とかね、マイナス面とかもね受け入れられない時ってね、やっぱり自分にも優しく出来ないし、子どもにももちろん優しくできる余裕なんてないじゃないですか。

船木さん 人にも攻撃するしね。

池谷さん やっぱりね、船木さんもね、お子さんとか見てるとね、やっぱり不器用ながらにでも少しずつ自分を、泣いたり怒ったり笑ったり表現できるようになってきてるじゃないですか。それって船木さんがね、少しずつ変化してったっていうか・・・こう努力していったというかね。

船木さん 自分ではわかんないんだけどね。

池谷さん わかんない、そのときはね。ただ相手してやってるからね。それでもやっぱりこう少しずつ。

船木さん そうだよね。だってさ、私も自分の親から見て自分はこうあるべきだって、それで育ってきてて、それと同じように子どもにもやってたと思うんだけれども、やっぱりそこで不健全なものの繰り返しが断ち切れれば嬉しいかな。


振り返るのはつらいけど『やさしさに包まれたなら』


池谷さん うんうん。なんでしょうね、このむぎのこ生活を自分自身が受け入れるようになったきっかけ、出来事になると、今思うとどうでしょうかね。まわりとのかかわりの中で自分を振り返るっていうこと・・・かね?

船木さん そうだね~。

池谷さん いろんなね。辛いんだけどね。振り返る機会っていうのは・・・

船木さん そこにだけは触れたくない、自分はこれで間違いないって思ってるから、見つめるっていう機会を今までは避けてきたんだけども。やっぱりそこを見つめることによって、自分の生い立ちもそうだし、ああ自分てこうやって育ってきたからこうなんだよなあ、それを自分の子どもにも繰り返しちゃいけないよなっていうふうにも思ったし、間違いだったんだよなっていうこととかもすごくたくさんあったし。

自分は「こうあるべきだ」っていう風に親から育てられてるから、子どもにもやっぱり「こうあるべきだ」っていうのをすごい押し付けちゃってて。でもその通りいかない子ども達で、悪戦苦闘して。「こうあるべきだ」ってされた自分も嫌だったっていうのもすごい思い出して。

池谷さん そっか やっぱりね。完璧な人間なんていないっていうことで。そうなるとなんかね、楽になるよね。子どものマイナス面にも共感できたりもね。これでいいんだっていうね。うまくいかないときもあるけど、周りに助けてもらいながら。

船木さん 怒ってたりしたら周りのお母さんとかも止めてくれたりね。

池谷さん 自分一人では育てられないということで。

船木さん 最初はでもね怒るっていうことも人前でしないで家とかで怒ったりとかイライラしたりとか悪い空気出したりしてたんだけど、それを人前でやるようになったっていうのがすこし進歩なのかな。

池谷さん まわりを信じれてね。自分を出せるようになったっていう。なんとなく自分らしく生きていけるっていう。

船木さん それを否定されないっていうことですよね。「何やってんだ!」とかってさ。

池谷さん さて、次にかける曲なんですけどユーミンの「やさしさに包まれたなら」

船木さん 自分が包まれたいっていう気持ちなんだけど(笑)子ども達も包んであげたいって気持ちもあるんだけれどもね。実はこれあの、私の結婚式のBGMに使った曲でありまして、思い出の曲であります。

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