2013年9月27日

親がいっぱいいっぱいにならないための社会的支援を、IFCO2013 大阪世界大会から考える

「社会的養護は家庭的代替養育」が世界的な流れ


園 長 とても天気が良くなりましたけど、随分朝晩冷え込んでますね。ばばばあちゃんが今日は来てくれてます。おはようございます。

古 家 おはようございます。

園 長 昨日などは、私ダウンジャケット着ました。随分寒くなりましたね。今ちょっと気温が高くなりましたけれども、秋はやっぱり寒暖の差が大きいですね。

さて先日、大阪で開かれた里親の世界大会にばばばあちゃんと一緒に参加してきました。そこではいろんな衝撃的なことに出会いましたね。

古 家 やはり世界は進んでいるんだなと思いました。

園 長 まず、あの国連の子どもの権利条約のワーキンググループでしたか? 代替養育っていう里親とかファミリーホームの部分を書いたワーキンググループの方の記念講演でしたね。

古 家 25カ国の方々が集まったんですけれども、世界に発信しようというそういう姿勢みたいなものが素晴らしいなと思いましたね。そういう姿勢というのが。

園 長 全世界で子どもを大事にしていこうっていう国連の意気込みが伝わってきましたね。貧困の問題とか病気とかAIDSとかいろんな子どもを救う問題がある中で、今回は虐待や何らかの事情で家族と一緒に住めない子の権利をどう守っていくのかっていうお話でしたね。

古 家 そうですね。

園 長 国連の考えとしては、できるだけ生みの親から離さない、不分離の原則っていうのがあって、そこで親御さんと子どもさんを応援していこうっていうのが第一原則ですよね。そういう中で子どもの権利を守る、権利擁護という視点がまたまた高かったんですけど、大人の判断ではなくて子どもの意思とか権利とかきちんと守っていくっていう。例えば虐待を受けてる子どもっていうのはそれが日常になっていて、何か発信したら大好きな親御さんと別れて暮らさないといけないっていうこともあるので、子ども側からは発信できない、どうしても子どもは自分の権利を守れない、弱い存在という部分もあるんですよね。

それを保護するというよりはその権利を守るっていうことで、まずは子どもの代弁者としての大人が、分離が必要な子は分離をして子どもの育つ権利を守る。そして、その分離先は大きい施設ではなくて家庭に近い家庭的代替養育できる場所だと。英語でいえば‘Family base’や‘Family  like’、里親さんはFamily baseで里親ファミリーホームはFamily likeになるかと思うんですけど、なるべく家庭に近い形での子どもの育ちを保障していこうっていうのははっきりと打ち出されていました。

古 家 そうですね。世界の流れでしたね。社会的責任としてね、個人の問題じゃなくてっていうところは、すごい励まされましたね。

園 長 意識高いですね、やはりね。

古 家 虐待を受けたら愛着障害になると。でも愛着障害になったことに対して、諦めないで安全で安心できる環境を作っていってあげるんだっていう、社会が責任持つというところでは本当に素晴らしいと思いましたね。


ソーシャルワーカーの輝き


園 長 特にそのなかでソーシャルワーカーが、ほとんど中心的な人物でしたね。

古 家 そうでしたね、なんかすごい明るい気持ちになりましたね、私は。

園 長 ソーシャルワーカーたちが世界中で子どもを守ってる。個人の判断じゃなくてチームの判断で。特にスウェーデンとかイギリスとかアメリカのソーシャルワーカーさんは気取ってないですよね。

古 家 そうなんですよね。

園 長 とにかく、なにがともあれ子どもを守るっていうところで頑張ってあげてるなっていう感じがしましたね。

古 家 「ユース」って言われてたんですけど、当事者の20歳から27歳位までの人たちが発表して、ほんとにソーシャルワーカーさんがいたから今があるっていうこと言ってましたね。


過去の事実に向き合う、欧米の子ども達


園 長 それぞれ家庭にいられない状況があって、そしてソーシャルワーカーさんに救われて今があるということを語っていましたね。今回その代替養育、里親さんで暮らした世界中の子、イギリスやアメリカの子と日本の子のシンポジウムがあったんですけれども、欧米の子と日本の子の意識がだいぶ違うなって思いましたね。

はっきり言うんですよね、イギリスの子なんて。今は27歳ですけど。里親家庭に入る前には親がドラッグをやってたり、ゴミのような扱いをされたって。犬小屋で育てられたとか。実はもう人を信頼しないっていうアピールのために自分が世界をコントロールするってことのために、暴力振るったりして里親家庭を30回も変わったんだって。

古 家 う~ん

園 長 刑務所にも入ったって。はっきり自分の過去を話してね。そのなかで治療のファミリーホームに入った時に「あ、本気で自分のこと心配してくれるソーシャルワーカーがいる」ということで段々立ち直って自分を見つめることが出来たっていう風に言ってましたね。

彼が言ってたのは、自分の行動ばかり見ないで欲しいって。自分の内面がいかに人を求めてるか、反対のことするんですけどそこに気づいて欲しかったと。彼は現在は自分と同じような立場の子どもを救う、ピア(仲間)で一緒に支えるというお仕事をしてるっていうから、ちょっと驚きでしたよね。

古 家 そうですね

園 長 だって刑務所に入ったんだよ。でも、立ち直ったらほんとに立派な大人として世界の最前線に立てるっていうのがすごい。アメリカの女の子達もお母さんが大抵はドラッグ問題ですね。シングルマザーで。自分の事をかまえるような状態じゃなかったっていうんだけど、ソーシャルワーカーが救い出してくれてみんな大学行ってるんですよね。奨学金で。

家の中で何も学んでないから奨学金ていう意味もわからないし、どう書いたらいいのか、その申請の仕方も何もわからない。成績はいいんだけど社会の仕組みとか関係性を学んでこなかったので、わからなかった時にソーシャルワーカーさんが全部やってくれたって、親代わりになってね。

そして今は奨学金をもらって大学に行けてるし、結婚もしたっていう女の子もいましたね。すっごい成績優秀で、シアトルにあるワシントン大学でかなりトップのほうで卒業した子もいました。

ノースキャロライナから来てるケイショウっていう男の子は、「過去をごまかさないでほしい、子どもだと思ってごまかさないで真実を教えてほしい、真実の中からでしか自分の事を知れないんだ」ってことを言ってましたね。
日本はまだ、ガン告知のようなもので、子どもが傷つくから言わないって。でもガン告知も最近昔はファジーにしてましたけど、今ほとんど本人に言いますよね。

それと同じように子どもだから教えないじゃなくて、きちんとその真実を教えてその上でフォローしてほしいってことを、そのノースキャロライナのケイショウ君が言ってましたよね。

欧米の子達はみんな親御さんとの関係にきちんと向かい合って、その上ですっごい辛い体験だったけど、親も大変だったからということを理解できて次にいけてる。ちょっと残念なのは、やっぱり日本の子たちは、シンポジウムではわりと悲惨だったっていう話もあったんですけど、親のことはまったくわからないけど施設の先生や仲間がいたから楽しかったっていう感じで。それが悪いというよりは幼い感じがしましたね。

古 家 やっぱり真実を知らないと大人になれないっていうのはありますよね。

園 長 そういう中でどんな状況にいる子でも、その親御さんを責めたり子どもを責めたり、地域の中であそこの家は、あそこの子どもはって村八分にするんじゃなくて、社会がきちんとその子の育ちを支えていく。それが国連で謳われているっていうところでは、ほんとに辛い思いしている子ども達にとって、希望になるような世界大会を大阪で開いてくれたなって思います。そしてこれからの日本がそんな風になっていったらほんとにいいなと思います。

子どもは大人をいっぱいいっぱにする存在

園 長 むぎの子では結構毎日、お母さんたちの子育てどうしたらいいんだろうとか、怒ってしまうとかそういう相談を受けますね。

古 家 そうですね。昨日もありました。

園 長 わりとみんなオープンにしてますね。そういうことを話していいんだ、みたいな。昨日のお母さんも買い物行って怒ってしまったと。そしたらみんな「よく人前で怒れて勇気あるね」っていうことを言うと、そのお母さんが「ちょっと人少なかったんだよね」とか。

別のお母さんは怒っちゃって、怒らないように怒らないようにしててやっぱり怒っちゃってすごい罪悪感が出ちゃったとか、いろんな話が出ますよね。でも怒っちゃわないほうがいいんだけど、怒っちゃうのはまあ仕方がないですよね、子育てしてたら。

古 家 そうなんですよね。

園 長 子どもって、なんか大人をいっぱいいっぱいにする存在みたいなもので、普段は別に普通に生きていけるんだけど、一生懸命関われば関わるほどなかなか言うこと聞いてくれないもんで、マックスになりがちですよね。

古 家 そう、追い詰められますよね、こちらのほうも。

園 長 すごいマックスになるのが当たり前。それを大きく出さないほうがいいのでわりと小さめに出しつつ出したら急に罪悪感を感じるお母さんもいるんだけど、それはあんまり感じないほうがいいんですよね。

古 家 やっぱり今の教育文化っていうものが、いいお母さんを求めるという背景もあるなと思いましたね。

園 長 それは母性神話であって、子育てって、いいときはいいけどマックスになったらイライラして怒ってしまいますよね。だからその叩いちゃったっていうお母さんも、話せるっていうのが大事ですよね。

人前でなくて、人がいなかったから叩いちゃったんだよと話すことで、少しそのお母さんも子どもに謝れる余裕を持つっていうかね。親も完璧じゃないからマックスになるとちょっと怒ったり、言わなくていいこと言っちゃったり叩いちゃったりするんだけど、それをちょっと余裕を持って自分を見れる、そういう仲間って大事ですね。そして子どもに「明るく謝る。子どもに謝る時は「はぁ、ほんとにごめんなさい」っていったらダメなの。

古 家 それは子どもが親のことを可哀相だなって思っちゃう。

子どもに謝る時は明るく謝る。それには社会的支えが必要。


園 長 そうなんです。子どもって全員健気なんですよ。あんなに暴れん坊なのに。お母さんに悪いことをしたのは自分だ、悪い自分だと思っちゃうんですよ。暗く謝ると子どもが今度罪悪感持っちゃうんで、できるだけ明るくっていうのがポイントですよね。そのためには仲間が必要ですよね。子どもに謝るっていうのは難しいけどね。

古 家 そう、ほんとに難しいことですよ・・・

園 長 人はね、間違いを起こして、何でも謝るというのは難しいんですよ。でもやっぱり、謝る時は誰にでも謝ったほうがいいですよね。

古 家 それが大人になるってことかなって思いますね。

園 長 だから身近な子どもに練習すればいいかな。ごめんねって、絶対子どもって許してくれるので。西澤哲先生という日本の子どものトラウマ治療の第一人者の方も言ってましたね。親が「ごめんね。自分はこうい生まれ育ちでついついあなたにもこんなことしちゃったんだ」ってことを言ってもらったら子どもは元気になれる。それだけでもう子どもは生きていけるんだっていうふうに言ってましたね。

なかなか親がそこまで行くのが大変なので、子どもも大変なまま大きくなっちゃうっていうのがありますけども小さいうちから「ごめんね」って明るく罪悪感を感じずに言えるっていうようになれたら本当はいいですけど。

古 家 そのためには専門的な支援も必要な時代ですね。

園 長 そうですね。お母さん一人で子どもと一対一だと詰まっちゃって謝るに謝れなくなっちゃって、突っ張った人間関係ずーっとどっかで引きずっちゃう。誰かに相談したり喋れたりするという親を支えるバックボーンがあって子どもとの関係が良くなるんだよね。

今までの地縁血縁、昔から住んでる人の中、血が繋がってる人の中で育てるっていうのが難しくなってきたので、そこは社会的ネットワークの中で育てる。友達、保育園、幼稚園とか、まあ幼稚園はちょっと難しいかもしれないけれど、保育園や、むぎのこのようなところとか保健センターとか、そういう子育て支援機関に支えられて子育てしていく。日本の社会福祉の学会が、先週の末に北星学園大学であったんですけれど、子育ては社会がさ支えていく、そういう時代だっていうことに、まさに取り組んでいました。

古 家 だから成熟した社会っていうものが求められてるのかなって思いましたね。

園 長 そのためには成熟したソーシャルワーカーを、親のせいにしないで社会的に支えていくっていう考えに立ったソーシャルワーカーを私達も育てないとだめですね。

東京の大学の先生達がね、そういう視点に立ってもうすでに応援してました。やっぱり札幌でも頑張っていかないとないと思いました。

2013年9月20日

一人が大好きだった私達がつながって、その子同士もつながる

池谷さんピンチヒッターで、きょうだい児保育園について


池谷さん いつものパーソナリティ北川園長と古家ばばばあちゃんは今週は情緒障害児短期治療施設の東北研修のため、5月にこの番組にゲスト出演させて頂きました私、池谷が代わりを務めさせて頂きます。よろしくお願いします。

今日のゲストはむぎのこの大先輩でもある船木さんに来ていただいてます。船木さん、今日はよろしくお願いします。

船木さん よろしくお願いします。

池谷さん 船木さんといえば3人の子どものお母さんで、今のむぎのこのきょうだい児の保育園を最初に起ち上げてくれた先輩お母さんなんですけれども、きょうだい児の保育園を、まず作りたいって思ったきっかけはどういうものだったんでしょうかね?

船木さん 私は長男の健矢が自閉症だっていうことでわかったときに、むぎのこに通うことになったんですね。ちょうどまわりのお母さんたちが下の子を産んでいて、きょうだいの子どもたち、赤ちゃんたちがいっぱいいました。うちは健矢が自閉症で多動だし、赤ちゃんいても育てられるのかなーっていう気持ちでいました。当時むぎのこはほぼ全員母子通園だったからね。

そしてそれをまわりのお母さんとかむぎのこの園長先生とかにお話ししてみたら園長が、「赤ちゃんのことを預かっていられる保育園があったらお母さんも安心してむぎのこに通って子育てすることもできるよね」って。

私も「あっそうなんだ」って思ってね。隣に保育園があったら自分も安心して母子通園したり、赤ちゃんにおっぱいあげにもすぐ行けるし。近隣の保育園とかだったらすぐ入ることが出来ないんですよ。でも赤ちゃんのいる人でもすぐ母子通園もできる、そういう保育園があったらいいなって思って作りました。

池谷さん 私もね、息子と通うようになったとき、まだ下の娘がちっちゃくてね。私もほんと助かった一人なんですけれども、ほんとに。私の時はほら、もう船木さんたちが、そういうふうに作ってきてくれたので、当たり前のように併設されていて、すごい恵まれた環境だったんだけども、やっぱり一番最初にね、何もないところからね、自分たちで立ち上げるってね、ものすごく勇気もいることだし・・・すごいですよね。

船木さん 不安症の私だったのでそれは相当なものだったと思うんですけど・・・。

池谷さん その当時ね、なんか振り返ってね、そういう大変だったこととかね苦労した、思い出すようなお話ってありますかね?

船木さん なんか大変なことだらけだったと思うんだけど。そういう前例がなかったのでね。ボランティアさんをお願いしましたね。そういう子どもたちのために、なんとか療育やってる時間だけでも見てくれないかってことで。

場所探しは、むぎのこの近くに空き家があって、そこはある神父さんの持ち物だったので、そこを神父さんに、こういう子ども達のために使わせてもらえないだろうかってお願いしました。そしたら、ほんとに快く使わせてもらえて、「いや、こんないい人がいるんだ!」ってほんとに嬉しくなっちゃって。そして、むぎのこのすぐ横の建物で子ども達の保育をすることができるようになりました。

ボランティアさんも次第にみんな人づてで来てくれたりとかして。そしてみんなで私達の子どもを育ててくれたんですよね。利用するお母さんたちもどんどん増えてきて、こういうことやったらいいよ、あんなことやったらいいよって仲間で相談しながら進めてきました。池谷さんたちが来た時には、もうかなり軌道に乗っていた状態だったと思うんですよ。

池谷さん 恵まれててなにもかもが揃ってるという。

船木さん 世の中っていい人いるんだなっていうのをね保育園のときすごく感じましたね。自分はすごい不幸だって、障がいがある子がいるってことでそういう風に思ってたんだけども、理解してくれる人の多さにも気付かされた出来事だったなって。今思えばですね。


はじめは自分の目先のことだけを考えてました


池谷さん そうなんですか・・・ いやもう、ほんとそのお陰でね、今むぎのこに通うお母さんたちがね、安心して保育園を利用して、上の子の療育や、行事に参加してる姿を見てね、今どう感じますか?

船木さん そうだね、私が作った時は自分の子どものことで作ったんだけれども、でも将来的にこんな風になってるのを見て、ああ、すごく良かったなっていう風に思いますね。作った時はほんとに自分の目先の事ばかりしか考えられなかったんだけれども。

私も子どもを生むこと自体も、きょうだい生むこと自体もすごい迷ったお母さんの一人であって、そしてむぎのこに来たお母さんで二人目の赤ちゃん、池谷さんみたいな赤ちゃんを連れてくるお母さんもいるんだけれども、これからって考えてるお母さんたちも、保育園の存在を知ったらすごい勇気づけられて「そっか、きょうだいっていてもいいんだ、大丈夫だ」って安心して子育てできるかなっていう風に思っています。

池谷さん そうですね。だってほんとに兄弟がいたら、まず上の子の障がいがあるってことだけでもものすごく、特にね、外に出るっていうのに勇気がいるのに、ちっちゃな下の子がいたらものすごく外に行くのも・・・なんていうんだろう、こもっちゃう。

船木さん ひきこもりになる?

池谷さん そう!そうそう。だけどね、保育園があるってことでね、みんな通いだして、そこできょうだい預けるとやっぱりお母さんもきょうだいの子ども達もみんなやっぱりね。

船木さん 元気になるよねー。


お母さん同士がつながり、きょうだい同士もつながった


池谷さん ほんとに諦めずによく作ってくれてね。やっぱりまわりの仲間の力っていうのは強いですか?

船木さん そうだね、私が下の子を妊娠する前にも赤ちゃんを連れてきてたお母さんもいて、そのお母さんもやっぱり一緒にやんなきゃダメだっていうことで「一緒にやろう!」って一緒にやってくれたお母さんの一人でもあります。今でもそのきょうだい同士もずっとちっちゃい時から繋がっているから、お互いに障がいのきょうだいがいる友達同士っていうことで、ずーっと今でも0歳のときから繋がっています。

作った時はそんなこと考えられなかったんだけど、でもこういうことなんだなって。今はその保育園で育った子が小学校4年生で、その友達同士で育つっていうことは、お兄ちゃんのこと隠さなくてもいいし、自分も楽に生きれるし、自分の辛さも共感できる友達がいるっていうのが、すごくありがたいなっていう風に思いますね。

池谷さん いや~ほんとそうですよね。

船木さん 同じ立場じゃないとやっぱりそれって理解しがたいことで、うちのお兄ちゃんこうなんだよねって言ったら周りの子引いちゃう・・・

池谷さん やっぱり仲間がいるってだけで、それをわかってくれるっていう仲間がいるだけでなんか自信ってね、付きますよね。ほんとにありがとうございます。


一人のほうが楽だった私達がみんなと暮らす生活へ


池谷さん 船木さんて3人の子どもの子育てもして、私が息子とむぎのこに通うようになったときにはね、もうすでに船木さんは先輩お母さんとしてもね、後輩のお母さんのケアとかお仕事もバリバリしていてね、とてもパワーのある方だなって感じていたんですけどね、船木さんて子どもの頃から積極的な子どもだったんですか?

船木さん 子どものときはね、あんまり人と接することが好きじゃない子だったんだよね、どちらかと言えばね。今思えばとっても自閉的な子どもで、自分の世界、自分のワールド持ってて、そして自分の空想の世界、ファンタジーが大好きなそんな子だったよなーていう感じですね。

代表とかに選ばれたりとかもするんだけど、自分としてはなんか一人でいるのが好きだったり、なんか現実味を帯びてない感じで生きていたような子ども時代で、今とは全然違うね。

やっぱりむぎのこに来たお陰で、人と接することの大事さがわかったりとか、自分一人で今まで勝手にやってた部分とかもあったんだけれども、ちょっと周りが見えてくるようになったとか、それで人との話も、自分にないもの持ってるっていうことを発見したりとかね。

自分の母親との関係では、お母さんって絶対こうやって言ったらこうやって返ってくるなっていうのがもう自分の中では出来上がっていたんだけれども、むぎのこに来てからは、お母さんの答えと違う、それだけじゃないっ、こういう考え方もあるんだ、こういうこともできるんだていうことが自信になったり、驚きだったりで、ちょっとずつ殻から出てきたのかな・・・

池谷さん はじめはやっぱりさ、一人の世界になってて・・・

船木さん 楽だった。

池谷さん 楽だったしょ?やっぱり出てきたくないっていうね。一人がいいって私もそんな時期があったんですよね。

船木さん そうそうそう、そうなんですよね。

池谷さん でもなんかむぎのこのね、不思議だよね。なんだろう段々溶けていく・・・

船木さん 自分の家族も自分の家族だけでなんでも解決しなきゃなんない、自分の家族だけでやんなきゃなんない、っていうのがすごく強かったと思うんだけども、むぎのこに来たらそうじゃなくてみんな助け合おうよっていうのがすごくあるし、やっぱり助け合わなきゃやっていけないっていう部分もある。

みんなそこでコミュニケーションとるようになって、今まで子ども育ててきた中でも大変なこともいっぱいあったから、自分の家族だけじゃやっぱり解決出来ないんだっていうことがほんとに多くて。そしてみんな助けられてやってきたなっていうのがすごくあるよね。だってさそうじゃなきゃ子ども3人も育てられない・・・。


自分を受け入れて、子どもも受け入れて


池谷さん やっぱりむぎのこに通うまでは、自分ていうのがどこか受け入れられなかったりとか、ある程度これでいいんだっていうちょっとある意味開き直りみたいのもあったと思うんだけども。

船木さん そうそう、なんか自信みたいのもあったし、これが間違いないとかって思ったりもしてたんだけどでもね。でも挫折したり、これじゃいけないんだなってことがいろいろあってそして受け入れるようになったのかな。

池谷さん 自分間違いないって最初思ってたからね。やっぱり自分のね、そういういろんな感情とかね、マイナス面とかもね受け入れられない時ってね、やっぱり自分にも優しく出来ないし、子どもにももちろん優しくできる余裕なんてないじゃないですか。

船木さん 人にも攻撃するしね。

池谷さん やっぱりね、船木さんもね、お子さんとか見てるとね、やっぱり不器用ながらにでも少しずつ自分を、泣いたり怒ったり笑ったり表現できるようになってきてるじゃないですか。それって船木さんがね、少しずつ変化してったっていうか・・・こう努力していったというかね。

船木さん 自分ではわかんないんだけどね。

池谷さん わかんない、そのときはね。ただ相手してやってるからね。それでもやっぱりこう少しずつ。

船木さん そうだよね。だってさ、私も自分の親から見て自分はこうあるべきだって、それで育ってきてて、それと同じように子どもにもやってたと思うんだけれども、やっぱりそこで不健全なものの繰り返しが断ち切れれば嬉しいかな。


振り返るのはつらいけど『やさしさに包まれたなら』


池谷さん うんうん。なんでしょうね、このむぎのこ生活を自分自身が受け入れるようになったきっかけ、出来事になると、今思うとどうでしょうかね。まわりとのかかわりの中で自分を振り返るっていうこと・・・かね?

船木さん そうだね~。

池谷さん いろんなね。辛いんだけどね。振り返る機会っていうのは・・・

船木さん そこにだけは触れたくない、自分はこれで間違いないって思ってるから、見つめるっていう機会を今までは避けてきたんだけども。やっぱりそこを見つめることによって、自分の生い立ちもそうだし、ああ自分てこうやって育ってきたからこうなんだよなあ、それを自分の子どもにも繰り返しちゃいけないよなっていうふうにも思ったし、間違いだったんだよなっていうこととかもすごくたくさんあったし。

自分は「こうあるべきだ」っていう風に親から育てられてるから、子どもにもやっぱり「こうあるべきだ」っていうのをすごい押し付けちゃってて。でもその通りいかない子ども達で、悪戦苦闘して。「こうあるべきだ」ってされた自分も嫌だったっていうのもすごい思い出して。

池谷さん そっか やっぱりね。完璧な人間なんていないっていうことで。そうなるとなんかね、楽になるよね。子どものマイナス面にも共感できたりもね。これでいいんだっていうね。うまくいかないときもあるけど、周りに助けてもらいながら。

船木さん 怒ってたりしたら周りのお母さんとかも止めてくれたりね。

池谷さん 自分一人では育てられないということで。

船木さん 最初はでもね怒るっていうことも人前でしないで家とかで怒ったりとかイライラしたりとか悪い空気出したりしてたんだけど、それを人前でやるようになったっていうのがすこし進歩なのかな。

池谷さん まわりを信じれてね。自分を出せるようになったっていう。なんとなく自分らしく生きていけるっていう。

船木さん それを否定されないっていうことですよね。「何やってんだ!」とかってさ。

池谷さん さて、次にかける曲なんですけどユーミンの「やさしさに包まれたなら」

船木さん 自分が包まれたいっていう気持ちなんだけど(笑)子ども達も包んであげたいって気持ちもあるんだけれどもね。実はこれあの、私の結婚式のBGMに使った曲でありまして、思い出の曲であります。

2013年9月13日

キャンプの余韻・お父さん達の活躍とマラソン大会


新内さん2度目のピンチヒッターです


新内さん 今日はいつものパーソナリティーの北川園長と古家ばばばあちゃんは、大阪での里親会の世界大会へ行っているので、今日は以前にもピンチヒッターを務めさせていただいた新内がお送りします。今日のゲストは7月にゲストで出演していた深瀬さんです。深瀬さんこんにちは。

深瀬さん こんにちは。

新内さん よろしくお願いします。実は深瀬さんと、深瀬さんの息子さんと私の娘は同じ学年で小学校3年生です。いつも仲間で。

深瀬さん そうです。

新内さん 今日は7月の最後に一緒にキャンプへ行ったんですけど、その話をちょっとしたいなと思います。

深瀬さん キャンプは4回目ですね、年長さんのときから数えて4回目のキャンプだったんですけども、今までのキャンプよりも、ほんと楽しかったな、充実したキャンプだったなっていう印象ですね。

新内さん 私もなんかとっても今回は落ち着いていて、そしてお母さんたちも協力し合えてすごく楽しめたなっていう印象があるんですけれども。結構色んなことしましたよね。

深瀬さん 雨ですごい天気悪かったから変更も多かったんだけど特に子ども達も、ぎゃーってなることもなく(笑) 自分の子が安定してたから楽しかったのかなっていう気もしますね。

新内さん 私も4回行ってるんですけど、やっぱり1回目の時は自分の子どもを見るのが精一杯で、でもキャンプってこんなものかっていう感じで終わって、自分のことしかできなかったっていうキャンプでした。でも段々年を重ねるごとに周りの子のことも見れるし「あそこが大変そう」と思ったら自分がちょっと助けに行ったり、また自分がちょっと大変になったらヘルプを出さなくても他のお母さんが助けに来てくれたりして、そういうのですごく今回はみんなに助けてもらってるし、自分もちょっと力になれてるかなっていう。

深瀬さん そうですね。同じ学年のお母さんなんですけど、家族で行くキャンプより楽だったって言ってたお母さんがいて、やっぱりそれは家族で行くと、お父さんは火をおこしたりするので、子どもを見るのはどうしても自分になっちゃうと。今回はみんなで見てくれたから自分も他の子も見たんだけど、いつも行くキャンプよりもすごい楽に感じたって言ってました。それだけみんな助け合えてできたキャンプだったんだなって、帰ってから思いました。

新内さん そうですよね。今回も250人くらいいたけど250人の大家族っていう感じでお父さんがいっぱい、お母さんがいっぱいで、それでみんなで子どもを見てるっていう感じで。あまり危険なこともなくみんな、ほんと楽しんでるなって。場所が中小屋小学校だったというのもあって子どもたちものびのびしていて親ものびのびしてません?

深瀬さん そうですね。子ども達も早く寝てくれたせいか親同士も・・・

新内さん 盛り上がり・・・

深瀬さん 盛り上がる話もできたし。いいキャンプ、ほんとに充実した、いいキャンプでした。

新内さん そうですね~ 山はどうでした? 結構突然の変更で山へ行き、そして初めての行く場所だったので・・・

深瀬さん 海だと思っていたのでまったくの予想外の山登りで、どこがゴールかどんだけの山かもわからない状態で登ったんですけど、ほんときつくていつ終わるんだろうって。時間までに戻れるんだろうかってそんな感じだったですけど。でも終わってみたら汗だくだったんですけど海に行くよりも達成感とか味わえて、子ども達にとっても良かったんじゃないかなっていう風に感じました。

新内さん 子ども達も「やった!!」ていう感じで降りて来ましたよね。

深瀬さん そうですね。

新内さん でもほんとはいつも行ったことのあるところだと見通しも持てて、親としてはすごく安心なんだけど、多分子供のほうが先に楽しんでたような。子どもが楽しんでるから親もそんな気持ちで楽しんでる、そんな感じでしたよね。

深瀬さん うちの子も大体グダグダになるんですけど、あんまりそんなこともなく、なんかこう一年一年やっぱり、大きくなってるんだなっていうのがすごい実感できたキャンプでしたね。


隣の露天風呂でうちの子も入ってる…


新内さん あと温泉にも行きましたけど、温泉はどうでしたか?

深瀬さん 温泉も楽しかったですね。

新内さん 男の子は男の子でお父さんたちとか先生達が入れてくれて、またそれは大変だったんでしょうけど・・・女の子も、お母さんと女の子で入ったお風呂はなかなかにすごい女子会でした。

深瀬さん ちょうど私達だけしかいなくて貸し切り状態の露天風呂が満杯になるような感じで。ちょうど柵を隔てて男風呂の露天もあったみたいで声が聞こえてきたりして。「隣でうちの子も入ってる」っていう・・・なんかねそういう感じが楽しかった。まさかキャンプでこんなにお風呂もゆっくり楽しめるとは思えなかったので。

新内さん そうですよね~

深瀬さん お陰様で昼の山登りの汗を・・・

新内さん 汗もしっかり・・・ リフレッシュできましたよね。

深瀬さん 風呂をあがってからもみんな思い思いにアイス食べたり、ジュース飲んだりっていうまったりした時間を味わえて。

新内さん 今回はプチ女子会があったりなんかこうお楽しみ要素がたくさんでしたね。天気がほんとに悪くて大雨だったんですけど、みんなそこはあまり気にならないぐらい楽しかったですよね。夜は夜で盛り上がり…

深瀬さん 子ども達がほんとに早く寝てくれたので、すごいなっ、私達の時間だって。

新内さん もう10時前には全員寝てましたよね。

深瀬さん そうですね、寝てましたよね。お父さんたちもお父さんたちと他のお母さんたちで部屋に集まって、普段話せないような話をしたり・・・

新内さん お父さんも、その夜だけに駆け付けてくれたんですよね。

深瀬さん そうなんですよね。ちょうど子ども達が寝るタイミングで来てしまって、今部屋に来ないでね、起きたら困るからって。お父さんも楽しかったってことでした。夜だけですけど。

新内さん お父さんたちで集まるってことがなかなかないので、お父さんはお父さんの話をしていて結構熱く語っているお父さんとかもいて・・・

深瀬さん 普段話せないお父さん同士が、会ったことないお父さんが初めて会ってお話したりとか・・・それはそれで私達お母さんと違う繋がりが持てたんじゃないかなと思います。

新内さん 私もその会にちょっと参加したんですけど、お父さんたちもやっぱり子育てにどうやって参加しようとかいろんな悩みがあるんだなっていうのがその時にすごく感じましたね。

深瀬さん うちの旦那も参加したんだけど、初めはどうしたらいいかわからないっていう感じだったのでそれでちょっとずつ行事などに行く事で馴染んでいくのかなっていう風に感じました。

新内さん そうですよね~。うちのパパはキャンプはちょっと行けなかったんですけど夏祭りの時に参加してて。焼き場はみんなお父さんが担当で、その焼き場で先輩のお父さんと深い話をしてしまったっとか言って。内容は全然教えてくれないんですけど。それはお父さんたちの秘密だとか言って。どんな深い話だろうと思うんですけど(笑)やっぱりお父さんたちの輪っていうのもすごく大切というか。子ども達もそれで打ち解けていい感じができてましたよね。


行事で頑張ってくれるお父さん達


新内さん これから秋はやっぱり、秋の行事としてマラソン大会とか運動会とかありますよね。10月14日に豊平川の健康マラソン大会というのがあってそれにみんなで行事として参加しようっていうことになっているんですけど深瀬さんのお家はどなたか参加されるんですか?

深瀬さん 去年が初参加、2年生で初参加で私が子どもと3㎞走ったんですけど、今年はお父さんが自分から「俺走る」って言ったので、じゃあやってもらおうと思って。

新内さん やる気ですね(笑)

深瀬さん そうですね。私としては途中子どもがグダグダになったときにお父さんが見れるのかとかいろんな不安はあるんですけど、そこは父親としてこれから頑張っていかなきゃならないのでまずはマラソンから・・・

新内さん 男の子だからね。大きくなったらお父さんの力ってすごい大事ですよね。

深瀬さん そうですね。どうしても必要になってくると思うのでそこは本人も自覚してますね。夜な夜な、普段ウォーキングは夜やってるんですけども、マラソンに向けて走ってます(笑)

新内さん すごーい、お父さん本当にやる気ですね。

深瀬さん なにせ運動不足なんで。3㎞とはいえ普段まったく運動してないのでちょっとずつちょっとずつ。倒れないように・・・

新内さん そうですよね、運動会とかでよく張り切ってアキレス腱切る人とかいますからね。

深瀬さん 怪我されたら困るのでそこは本人も自覚してるようで、ちょっとずつやってるようです。

新内さん そうなんですか。でも実は深瀬さんのお父さんの走る噂を聞いて、うちもパパが走ることに決めまして。

深瀬さん 去年もお父さん走ってましたよね。

新内さん そうですね。そのときは私が足が痛くて、走れないって言ったらしょうがないなって感じだったんですけど、今年は深瀬さんのお父さんに触発されて「じゃあ深瀬父が走るなら俺も頑張ろう」っていうことになりました。また、お父さんたちも会えるのを楽しみにしてますね。

深瀬さん 普段お父さんてお仕事してるし、行事でしか顔を合わせないと思うので、やっぱりそこで会ってお互い3㎞達成感を持って頑張るっていう。

新内さん お互いに「よし、やったぞ」という最後、何かあるといいですね。

深瀬さん 子どもはもちろんね、頑張って達成感を感じてほしいんですけど、お父さんとしても子どもと何かやるってことなかなかないので、ほんとにいい機会だなって思います。数少ない行事だから、お父さん同士もそこで少し話すだけでもやっぱりね、キャンプに続き親交が持てたらいいなっていう感じですね。


みんなの応援の中で、感動的なゴール!


新内さん むぎのこに来てから、私もいろんなこういうおおやけの機会があって。自分の子が障がいを持っているのにマラソン、しかもこういう大会に出るなんて。全然自分では考えもつかないようなことを、みんなで一緒に出て、みんなもやってるから自分たちも頑張れるっていう力を貰って、こういうことにチャレンジするっていう・・・ほんとに信じられないことばかりで。

深瀬さん そうですね、むぎのこに来てなかったらマラソンに出るなんて考えられなかったと思います。去年初めて参加してみてうちの子は最初走ってたんですけど、私のほうが走れなくなってしまって途中歩いてるって感じだったんですけど。結局ビリから2番目くらいの最後のほうだったんですけど、みんなで応援してくれて待っててくれて、そこに子どもと一緒にゴールするっていうのがこう、感動的でしたね。泣きそうになりました。

新内さん ほんとドラマを見ているかのように・・・

深瀬さん 去年はたくさん歩くとか、挫けてしまう子だったんですね。途中で大丈夫かなとか不安を持ちながらいたんですけど、全然なんてことなくこなしたので。実は途中泣きながら走ってたっていう・・・親が(笑)ゴール付近にみんないるので頑張ろうって感じで。

新内さん あの、お父さんお母さんも子どももみんな一緒になって最後ゴールで応援していて。私も実は深瀬さんのお子さんがゴールした時は号泣していましたけれども・・・

深瀬さん なんかこう、たった3㎞なんだけど、その3㎞の中にすごいいろんな思いが駆け巡るっていう・・・

新内さん そうですよね。あの小さかったこの子がここまで頑張ってるっていう、本当にあれはなんでしょう・・・感動だよね。

深瀬さん コース途中ですれ違ったり、折り返し地点ですれ違ったりするんだけど、みんなで声を掛けあって子どもも大人も声掛け合って走るっていう、なんかこう励まされて気分よく走れましたね。

新内さん すごく充実した達成感を得られるし、ひとつ大きくなれる、成長できるものですよね。

深瀬さん どんな子も走り終わったあとの清々しい顔が印象的で。うちの子もゴールの後は「なんてことないよ」って顔してて。なんだやれるじゃんっていう。親もこの子出来るんだっていう次の自信に繋がって、なんでも諦めなければできるっていう事を、身を持って感じれましたね。

新内さん そうですよね。今年も、一緒に頑張りましょう。

深瀬さん そうですね。

新内さん あ、でも応援する側ですよね。

深瀬さん はい、応援して。

新内さん なんか打ち上げとかできたらいいですよね。

深瀬さん そうですよね、終わったあとにね。

2013年9月6日

失敗も喜び体験になる! むぎのこの運動会

総練習でも感動の運動会前日 


園 長 今日は朝とってもお天気が良くって、ラジオ体操毎朝してるんですけどその時は秋なんですけど暑い感じの日差しでした。仕事に行く頃には雨が降り始めたという・・・変わった天気ですね。

古 家 おはようございます。そうですね、今日どんな一日になるんだろうこんなに晴れてって思ったら今出てきたら雨が降ってたので、ちょっと驚きましたね。

園 長 天気予報はこの頃当たりませんね。実は明日むぎのこの運動会なんですけれども天気はどうなるのかちょっと、これで心配になりましたね。

古 家 あまりの変わり様でちょっと気になりますね。

園 長 ね、女心と秋の空っていう・・・

古 家 私は男心と秋の空って覚えてました(笑)

園 長 そうですか!?

古 家 はい どっちが正しかったんだろう?

北 川 あれ?っていう感じですけど(笑) どちらでも秋の空は変わりやすいということですね。

園 長 ただ昨日は一日天気が良くって、総練習をむぎのこのすぐ近くの日の丸公園でさせてもらいました。でも、昨日の夜もまた雨降ったんですね。夜に雨が降って日中が天気が良いってのが最高ですけども、なんか本当にどうなるかって感じですね。

昨日は暑くて、ばばばあちゃんも日焼けしたということで・・・

古 家 総練習で帽子も被らず半袖で過ごしたら首のところが真っ赤になってしまいました。腕もかなり日に焼けましたね。

園 長 昨日はある意味運動会日和でしたね。子ども達もすっごく運動会楽しみなんですよね。

古 家 そうですよね。リレーでバトンをタッチする時の、そのバトンをもらうのに「嬉しい嬉しい、早くバトン持ってきて」っていう年長さんがいて、ほんとに感動しましたね。

園 長 ほんとに小さい2歳代の子ども達もお母さん目指して一生懸命走ってきましたね。本番の運動会ではないのだけれど、なんかやっぱり一瞬一瞬感動させてくれるっていうか・・・

古 家 えぇ、えぇ


お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、みんなで支える


園 長 むぎのこの運動会が一般の幼稚園保育園と違うところは、お母さんもしくはお父さんも一緒に全部参加するということです。

古 家 あの一生懸命走ったその先にお母さんがいて、お母さんがよくやったねって抱っこしてくれる、それがご褒美っていう運動会ですよね。

園 長 お母さんが応援してくれるっていう。お父さんお母さんがほんとに間近で、走った先には抱っこしてくれて育んでくれる。運動会そのものが子どもの育みになるような、お父さんお母さんとのいい思い出になるような、記憶に残るかどうかわからない時代なんだけどしっかり見えないところで心の宝になるような、そういう運動会にしていこうというふうに思ってます。必ず何か達成した先にはお母さんがいて抱っこしてくれるという。

古 家 あと年長さんの竹登りですね。竹の先にタンバリンがあるんですけどそこに登って行ってタンバリンをパンと叩くんです。その時に空に向かって登って行く。そしておじいちゃんおばあちゃん、もう100人以上の人たちが注目してみんなに見てもらって主人公になる。

それで、できたって事をほんとに多くの人から、その子だけに集中して目がいって、みんなに褒められてよくやったねっていう。この視線を受けて、それでやってよかったっていう気持ちを子ども達にもってもらいたいなっていうことでやってるんです。感動的ですよね、いつもその場面は。

園 長 そうですね、それは年長さんの種目ですね。2歳児から発達に合わせた、一般的にいう障害物競争みたいのを先生方が一生懸命種目を考えます。赤ちゃんだったらハイハイしてゴールとか、少し歩けるようになった子たちは歩いてお母さんたちのところに行って滑り台を登って滑り台を滑ってゴールとか。

3歳代くらいになると低い平均台を登ってジャンプしてゴロンしてゴールとか。4歳になると高い平均台ですよね。高い平均台を挑戦して登ってジャンプして、それから梯子を登ったりもしますね。5歳児になると今ばばばあちゃんが言った竹登りですね。

34年在園しているむぎのこの年長さん達を見て、年長になったらあの競技をするという憧れをその下の年少、年中さんは持ってますよね。お母さんもお父さんも来年は竹登りだっていう、それを待って年長さんを迎えるっていう感じはありますよね。

古 家 その竹はお父さんが支えてますよね。その障がいがあっても発達の筋道っていうのが運動会を見ていたらはっきりわかりますよね。

園 長 障がいがあるからやらないとかいうことではなくて、やっぱり3歳、4歳、5歳、6歳、その年齢にあったプライドがあるのでね。そのプライドに合わせた競技を先生方が一生懸命作ってます。もちろん竹登りなんかは一人でスルスルスルッて登って行ってパンってやる子もいるんですけど、先生方の手が、竹の節目、節々を支えることで上に登って行ける子もいてそれでいいんだみたいな。

その子どもにあった介助をしてそれでいいんだ、ただ、その子どもの出来るだけの力は発揮してもらう、そういうことですよね。

古 家 そうですよね。だから毎年難病のお子さんもいるんですけど、職員とかお父さんとかお母さんの支えで達成できて、そのときのお父さんとお母さんとかの表情は本当に嬉しそうですね。うちの子どももやれたんだっていう。

園 長 普段車椅子に乗っていて肢体不自由があって、竹登りなんかは本当は自分の力では難しいんですけど、それはおんなじ6歳なので一緒に挑戦しようということですね。多くの職員の手で安全を守って、肢体不自由のお子さんも高い竹の上のタンバリンをパンて叩くっていう経験をして年長の運動会を終わるというふうにしてますね。

これはお母さんが言ってたんですけど、一生のうちでもしかしたら、うちの子がこんなに高いところに登るのは最初で最後かもしれない、なかなか地上の高いところに登るっていうのは難しいので、山登りはまた別ですけど、最初で最後かもしれないっていうふうに涙したお母さんもいましたね。

古 家:そうですか・・・

園 長 今年はまた何名かの肢体不自由のお子さんも竹登りに挑戦するということで、看護師さんもいたりお医者さんもいたり万全の体制を取って事故のないように、本人がやれたって思えるような体制を取ってきたいなというふうに思ってるんです。

運動会そのものはほんとうに子どものフェスティバルなので、子どもが主人公で王様でそこで輝ける。そういうことはほんとうに年に1回。おじいちゃんおばあちゃんも来ますからね。

古 家 そうなんですよねー

園 長 私達も楽しみだし、やっぱり子ども達もほんとに楽しみにしてるって感じで、力入ってますよね。

古 家 意気込みっていうかね。ぼくもやるんだっ!! ていう。

園 長 それでもう、ぜひ、天気も良くなって・・・

古 家 そうですねー、それはほんとに。てるてる坊主でなんとか・・・

園 長 緊張のあまり不安になるお子さんもいますが、その話はまた後半にしたいと思います。


失敗も喜び体験になる運動会に


園 長 運動会ですが子ども達はとっても楽しみにしていますけども、不安で泣いちゃう子もいないわけではないですよね。それについては、どうですか、ばばばあちゃんの経験からいうと。

古 家 見た目はふざけてたり、何を考えてるかわからないような子どもでも、内面はやっぱり自分が「できるかな、できないかな、できなかったらどうしよう」、そういう気持ちがありますね。

そのときにお母さんって「え?! 練習の時やれたのにもうやれないの?!」みたいな、すごい気持ちになってしまってお母さんも落ち込む事が多いんですよね。だから私は「やれない自分もその子なんだよ、やれない気持ちも大事だよ、みんなで応援しよう」って前もって伝えてます。

ほんとは本人がやれるのは大人は知ってるんだけど、気持ちがやれない時は、そのやれない気持ちをやれるように手伝って、「今日もやれるから一緒にやろうよ」っていう、そういう態度が職員側に大切なのかなっていうふうに思ってますね。

だから、もしそのとき自力でできないまま終わったとしても、何年か経った後に「あ、あのときみんなに応援してもらってやったな」っていうね、そういう心の中に支えてもらったっていうそういう記憶が残るんじゃないかなって思いますね。

やれるかやれないかが重要じゃなくて、「自分が困ったときに支えてもらった」っていう記憶が一番大事なんじゃないかなって思うんですよね。一生懸命やれておもいっきり走るのもカッコよくて素敵だし、できないときに大人に支えてもらったっていう記憶も同じくらい大事だなって思ってるんですよね。

園 長 うーん 哲学的な話になりました(笑)

古 家 そうですか? 昔だったらこういうことは喋らなくても、なんか普通の習慣としてやってたんじゃないかなって思うんですけどね。

養老孟司さんと宮崎駿さんの対談集を読んだら、だいたい今の60歳くらいまでがそういう暮らしで、50代の人たちはそういう習慣化がされてないんじゃないかなっていうお話が載ってましたね。

園 長 やっぱり、そのやれるかやれないかっていう文化の中で50代以降は生きてるのかなって思うんですよ。

古 家 そうかもしれませんね。

園 長 かっこよくやれたっていうのはいいことだけど、崩れてしまって泣いてしまったってのは悪いことみたいな。そういうことは60代にとってはそうじゃないのが普通ですか。

古 家 そうですね。できなくってあたりまえのような。できる人って少ないから・・・ うん。

園 長 それがなぜか、私は大事にされたっていう感覚に繋がらないような子育てが広がってきてしまったんですね。

古 家 そうなんですねー だからそのね、宮崎駿さんも書いてたんですけど脳のギャップがあるって。

園 長 宮崎さんは70歳くらいでしたっけ?

古 家 72歳ですね、ちょっと前に引退宣言したんですけどね。だいたいそこら辺をどのように伝えていったら良いのかなって。だからその違いに宮崎駿さんなんかも何年か前に気づいて、あまり気づかないまま生きてしまったって。

園 長 最近出た信田さよ子さんっていうカウンセラーの本「傷つけられる人傷つく人」だったかな?の中にも、家庭ってやっぱり拠り所で、100人が自分を責めても、親が大丈夫だって言ってくれたらその子の中に自信がつくっていうお話があったんです。

もう一つは、家庭そのものが子どもがなんか居心地の良い所が機能が健全な家庭だっていうのがありました。子どもが居心地が良くなくって、親もこうじゃないとダメって、さっきの、カッコよくできたらいいけど、泣いたらダメみたいな不安が家庭の中にもあって。ちゃんとしなさいとかが強くて、子どもにとっての居心地良くないような家庭になってきてるのかなって。社会の印象も含めてね。お母さんたちが悪いとかじゃなくて。

もう一つ書かれていたのは、遠慮しすぎて「肯定、肯定」っていうのじゃなくて、ちゃんとこれやったらいけないよっていう大人の目で、きちんと伝えることが肯定なんだ。あなたは大丈夫だって言ってあげるところと、それはできないよっていう否定の中にある肯定みたいなもの、その両方の力が弱くなってしまっている。世間の見る目で子どもを見て、子どもはプレッシャーだし、でもいい悪いもなかなか伝えられない、ということでした。

宮崎駿さんとかが生きてきたその「カッコいいのもいいけど、できなくてもそれが支えてもらった良い記憶、心地良い記憶になるんだ」ということを、なんとか運動会や、発達の心配のある子を応援してる私達が、若いお母さんお父さんに伝えていきたいですね。実践でね。ほんとに実践そのものなんですよね。言葉じゃなくって実践の場でね、泣いた子どもが元気になっていく姿、私達たくさん見てるのでね。

古 家 そうですよね。


園 長 支えで喜びに繋がるというね、そういう運動会に晴れたらいいなっていうふうに思います。