2013年8月2日

息子とのコミュニケーション・支えられる側から支える側へ

マラソンをショートカット!?


古 家 今日のゲストは鈴木さんです。鈴木さんはむぎのこ生活が長いのですよね。

鈴木さんは息子さんが三人いて、上の二人は自立して就職もして、そして末っ子のタケルくんが今スワンで働いてるんですね。しょっちゅう私に電話が来るんですよ。私以外の人にも電話いってるみたいなんだけど。それで、「怒ってる?」って電話が来て、「えーっどうして?」って聞いたら、「マラソンでズルしたから」って。

5月の豊平川マラソンで10キロ走ったんだけれども、途中の給水所あたりでUターンして戻ろうとしてたところをスワンの店長がみつけて「あー、何やってるんだ」って。店長とタケルくんは一緒に戻ってやり直しました。みんな10キロしか走ってなかったんだけども店長とタケルくんは13キロくらい走ったという、そういうようなことがあって。去年はズルやったのに早々とゴールしたのをみんなわからなくって入賞したってことだったんですよね。

鈴木さん そうなんです。後からわかりましたね。

古 家 そういうことするんじゃないよってきつく言ったら、「怒ってる?」ってそれからは電話来るようになって。それで私が「どうしたら怒らなくなるんだったっけ?」って聞いたら「10月のマラソンでズルしないで10キロ走ったら良いんです」っていうことで。

今どこにいるの?って聞いたら「家です」とか答えるんだけれども退屈になってきたときとかに、結構日曜日の昼間とかに電話来るんですけど(笑)。
今22歳ですよね?

鈴木さん はい、そうです。12月に22になります。

古 家 3年くらい前は、いつ、どこで、だれが、何をしたっていうのを話せなかったので。だけどいろんなことはわかっていて、漢字も読めて、字も書けてるんだけども、コミュニケーションがうまくいかなかった。それが、いつどこで誰が何をした、「昨日僕は、フードセンターでサイダーを買いました」とかね。そういうことを一日30回くらい練習して言えるようになったら、今度はその言葉に違う言葉を、英語を私達が覚えるように言葉をはめてきて、昨日僕はどこどこに行きましたとか、そういう風に話せるようになってきました。それで何年前から携帯電話を使ってるんでしたっけ?

鈴木さん ちょうど19くらいですね。

古 家 19歳くらいでお話が出来るようになったので、携帯電話も買ってメールのやり方も覚えて。そしたら今度は自分が言いたいことだけしか言えなかったですよね? 去年ぐらいまで。

鈴木さん そうですね。

古 家 それで私が、待って待ってって。今目の前で私が話してる間は話しないでよ、と。じっと待ってて待っててって言って、私が話してそしていいよ、タケルくん話してもってタケルくんが話して、そしてそれに私が答えたら、会話、電話で会話が出来るようになったのがちょっと前かな?

鈴木さん そうですね。私のところに電話がかかってきても「黒いTシャツ持ってきてって。」今朝の話なんですけど、「わかったよ、でも家に黒いTシャツ4枚あるんだけど、どのTシャツ?お母さんわかんないのだけど」っていったら何とかかんとかって書いてあるってアルファベットえを言ってなになにって書いてあるやつって言ってああわかったよっていう会話が、ほんと今朝なんですよ。何時間前かにできてすごい成長を感じたんです。今朝なんですよ。

古 家 そうなんですか。以前だと、自分の言いたいことは「Tシャツ持ってきて」それで終わりって感じだったんだけども。「どういうもの?」って聞いたら、自分でイメージしてそのイメージ通り言葉も言えるようになってきたんですね。

鈴木さん そうなんです。もう、今日朝の感激でした。



言葉の獲得にはものすごいエネルギー必要


古 家 そうなんですか。それってことばの獲得っていうかね、私も仮説ではそういうふうに言葉を獲得していくに違いないと。だからいつもお母さんたちにあきらめないで、あきらめないでって幼児期とか学童期に言葉が出なくっても内的言語は持ってるから、だから自信がでてきたら話せるようになるからあきらめないでって言い続けてきたんだけども。

 私がむぎのこに勤めて一番初めに出会ったのがタケルくん達でした。私も若い時から障がいの勉強をしてきたわけではなく、看護師だったから看護師からの視点で、タケルくん達に出会った時に、内的言語を持ってるってことをはっきりわかったんですよ。でも言葉を発するってものすごいエネルギーが要るっていうのかな、お年寄りになったらぼそぼそって喋るようにエネルギーが下がるから声も小さくなるし、また自分が言ってることにこう自信がないと話せないんだな人間って、ていうのことはタケルくん達に会って学んだことなんですよね。

 だからエネルギーがアップしてそして自信がついてきたら言葉も話せるに違いないという仮説は持ってたんだけれども、それを見事に実現してくれたのが鈴木親子だなって思います。
 私は出会ってからね、ほんとに実行するのを私じゃなくてお母さんとタケルくんだから私がそういうような仮説立ててサポートしても、実際に地球上で生きているのはタケルくんでありお母さんだからね、そういうように歩んでこられたのはすごい歴史を刻んできたなっていうか、そういう思いでいっぱいですね。

鈴木さん おかげさまで、たくさんの人達に支えられてきたっていうことがこれほど大きいことだとは思わなかった。一人だったら今おっしゃったような内的な力というのが信じることが出来なかったと思うのですよ。タケルはここまでしか出来ないというマイナスの捉え方しかしなかったと思うんですけど、たくさんの人が大丈夫だよって、できるからって支えてくれてやっと親が信じることが少しずつ出来るようになったっていうのが今の段階ですね。

古 家 やっぱり、世間一般の常識から言ったらこの子はそこまで話が出来るようにならないって言うかね。そういうのがあると思うんだけどもやっぱり常識を超えてタケルくんと一緒に生きてきて今あるのかなっていう風に思いますね。

 今話しを聞いててほんとに素晴らしいなと思ったんだけれど、「黒いTシャツ4枚あるけどそのうちどれなの?」って聞けたってね。「これかい?あれかい?それかい?」というふうにタケルくんのことわからないと思ったらそう聞くのが普通だと思うんだけど。

鈴木さん そうですね、私自分でよく言えたなって思えたんですよ。普段だったら言ってもわかんないでしょ?なんでそんな面倒くさい電話かけてくるの?みたいなはじめから拒否っていうか。どうせ言ったってわかんないでしょという思いがあったんですね。なんか今日は自分が落ち着いて普通の会話に近いものが出来たなって思ったんですよね。

古 家 それは何かあったんですか?



コミュニケーションの勉強と実際のコミュニケーション


鈴木さん 先日の土日なんですけど子育てとか子どもの接し方と言うような研修を受けたんですね。コモンセンスペアレンティングって言うんですけど、子どもについて頭文字をとってSCALEって習ったんですね。Sがサポート、支える、Cがcareのお世話をする、Aが愛、という感じのを習って、今まで何十回も聞いてるはずなんだけども、今までは言葉だけが入ってきたんですけど、これってどういうことなんだって考えたら、一緒に心を落ち着かせて21歳の男の子に急に話すって言ったらどういう事なんだろうって一瞬に頭の中に駆け巡った気がして、初めて普通に話しが出来たっていうか。自閉症とわかって19年経つんですけど、ここまでかかりました。

古 家 そのコモンセンスペアレンティングの研修は本当に活かされたっていうかね。その日だけじゃなくて毎日学んでるってことですよね。

鈴木さん そうですね。自分の子はもちろんですけど、ショートステイやヘルパーとして私は働いてるんですが、その時幼児さんとかに接する時に、これを頭においてというか、思い出しながらやったらいいんだなって。その場になったら100%というかほんのちょっとでも思い出すようにしていけたらなと思いました。

古 家 私達も普通なかなか勉強して頭ではわかっているけど日常生活ってとっさなのでね。日常生活のコミュニケーションとかっていうのは。だから学んだことよりも、自分の持っているものが出てしまいますよね。

鈴木さん そうなんです。「あんた何やってんの?!」ていう突き放してるような言い方が、すごく突き放してた思いがあって、その通り子どもにぶつけてたので。自分がだったら思い切り傷ついてたなって今思いました。

古 家 日常生活だから自分自身も必死だから、子どもにね、つらい思いしてるって気が付きませんよね。

鈴木さん はい、全然気が付きませんでした。


支えられることと支えること


古 家 やっぱり、こんなふうに学ぶっていうこととそれから鈴木さんがヘルパーとして他の子達にもどんな風にしてあげたらいいだろうってことで一生懸命働いてるから。
 鈴木さん、今年何歳でしたっけ?

鈴木さん 55歳になります。

古 家 55歳になっても勉強して身につけようとする気持ちが強いから、これでいいではなく、向上心があるからそういうことにも身になって花開いたっていうかそういうことなんでしょうね。

鈴木さん 沢山の人がみんなで支えてるっていうか、いろんな人を、その中に居れるんだっていうことでね、なんかこれがずっとタケルとふたりきりの生活だったらもう真っ暗の中にいたんだろうなって思います。

古 家 そうなんですね。暮らしって、木戸さんも今日来てくれてるんだけど、お花を飾ったりみんなで見てもらって、喜んでもらったり、自分が支えてもらってる、お世話になってるだけじゃなくて自分も支えてる者の一員なんだ、っていま鈴木さんが話されたんだけど、それがなんかうれしいっていうか。だからどんなに障がいがあっても、例えば重心で身動き出来ない子でもその人がそこにいつもいてくれたらほっとするとかね、そういう存在感ていうのかな、それだけでも人に力を与えてると思います。

よく言いますよね、どんなに年とっても寝たきりになっても、親は生きてて欲しかったって。いろんなことができなくてもその人の存在そのものが誰かのためになってること。そういうことを今の鈴木さんのお話を聞いて、それが地域で暮らすことでもあり、私達が支えられたり支えたりというところで喜びを持って、特別大それたことをして有意義になるってことではなくてね、それが暮らしにとって大事なんだなって、今私も学ばされました。ありがとうございます。

次の曲は「翼をください」という曲ですが、この曲を鈴木さんたちがタケルくん達と仲間と一緒にみんなの前で歌ってくれました。そのビデオを札幌市議の篠田さんのこの「むぎのこにこにこラジオ」の一つ前の篠田さんの番組でビデオを見てもらったんですよね。みなさんに感動して頂きました。

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